危機修復のマネジメント:経営者がとるべきコミュニケーションと危機の見方
はじめに
危機修復において求められるマネジメントとは何か。今回は、主に三つの観点から分析していく。まずは、危機修復はコミュニケーションであるという視点だ。原因究明や再発防止だけでなく、ステークホルダーとのコミュニケーションを重視する必要がある。そして、そのためのトップの役割は何かについて論じる。最後に、他社の危機を分析する際の、選ぶべきデータソースとデータの見方について考える。
危機修復はコミュニケーションである:真正性・誠実さ・透明性の三条件
危機対応や危機修復というと、多くの人は原因究明や再発防止策のことを思い浮かべるかもしれない。しかし危機マネジメント研究の焦点は、危機マネジメントの本質はむしろステークホルダーとのコミュニケーションにあると考えられている。危機そのものが社会的に構築される以上、その修復もまた社会的な過程を経るからである。
組織がどれほど技術的に優れた対策を講じても、それが社会から理解されなければ危機は終わらない。逆に、技術的な限界ゆえに被害が大きくなったとしても、適切なコミュニケーションによって信頼を回復できる場合がある。実際に、似たような不祥事や事故であっても、その後の評価が大きく分かれる事例は少なくない。
では、危機修復におけるよいコミュニケーションの条件とは何だろうか。
先行研究において共通して強調される条件が三つある。第一に「真正性」である。言葉だけではなく、本当にそう思っていると受け取られることが重要になる。テンプレート化された謝罪や、いかにも用意された説明は、かえって不信感を招く。組織の言葉が、組織自身のものとして発せられているか、そう受け取ることができるかが問われるのだ。
第二に「誠実さ」である。危機対応において人々が見ているのは、完璧な説明ではなく、問題と向き合う姿勢である。わからないことを「わからない」と言えるか、都合の悪い事実から逃げないか、被害を受けた人々への想像力を持っているか。そうした態度が信頼を左右する。
第三が「透明性」である。危機発生時には情報が不足し、不安が拡大する。だからこそ、現時点で把握している事実と、まだ把握できていない事実を整理し、できる限り公開していく必要がある。透明性とは、すべてを知っていることではなく、知っている範囲を隠さないことである。
興味深いのは、この三条件はいずれも技術に規定されるのみならず、人間的な要素を多分に含むということである。危機修復の巧拙は、マニュアルの有無だけで決まるものではない。組織がどのような姿勢で社会と向き合うかによって決まるのである。
つまり危機マネジメントの核心は、原因究明の作業である以上に、信頼を再構築し修復するコミュニケーションなのである。そして危機修復とは、失われた信頼を一方的に「取り戻す」ことではなく、ステークホルダーとの関係を新たに築き直していく営みなのだ。
危機修復の成否を決める「トップの二つの仕事」を暫定定義する
危機が起きたとき、最終的な責任は経営トップに集中する。実際、多くの不祥事において、人々が注目するのは現場担当者ではなく、社長や会長の振る舞いである。しかし、とりあえずトップの責任だといわれることが多い中、トップの仕事とは具体的に何なのだろうか。
現時点での暫定的な定義として、筆者はトップの仕事を二つに整理できるのではないかと考えている。
第一の仕事は、「意味を与えること」である。
危機が起きると、組織の内部では混乱が生じる。何が起きたのか、どれほど深刻なのか、どう行動すればよいのか、誰にもわからない。そうした不確実性のなかで、組織全体に対して「いま起きていることは何か」「われわれは何を優先するのか」を示すことがトップの役割になる。
これは単なる指示を意味するのではない。危機をどのような出来事として位置づけるかという、「意味づけ」の作業である。被害者を最優先するのか、原因究明を急ぐのか、社会に何を約束するのか。危機に際してトップが発する言葉は、組織の認識そのものを形成する源となる。
第二の仕事は、「社会との接点になること」である。
危機修復がコミュニケーションである以上、誰かが組織を代表して外部と向き合わなければならない。その役割を担うのがトップである。記者会見や説明責任はもちろん、株主や顧客、行政機関など、様々なステークホルダーとの関係を維持する役目を負う。
興味深いのは、人々はトップに「完璧さ」を求めているわけではないことである。むしろ、責任を引き受ける覚悟や、当事者としての姿勢を見ている。KDDIが通信障害を起こした際に高い評価が集まった背景にも、技術的説明以上に、トップが社会との接点として機能したことがあった。
もちろん、この二つだけで危機修復が成功するわけではない。しかし、危機においてトップが果たすべき仕事を「意味を与えること」と「社会との接点になること」と整理すると、単なる謝罪会見の巧拙を超えて、危機修復の本質が見えてくる。
危機とは、トップの能力が最も露わになる瞬間でもあるのである。
事例編の読み方:なぜ第三者委員会報告書は“宝の山”なのか
本連載では今後、様々な組織の危機事例を扱っていく予定である。その際、主要な資料として参照できるのが第三者委員会報告書である。
危機や不祥事が起きると、まず始まるのは犯人探しである。しかし危機マネジメントでは、犯人探しは主目的ではない。第三者委員会報告書には、組織がどのように問題を認識し、どのように見逃し、どのように対応したかというプロセスが詳細に記録されている。これは、組織が真に危機修復を目指そうとするとき、有用な情報となる。
危機は突然起きるわけではない。多くの場合、小さな兆候があり、違和感があり、警告があり、それらが見過ごされることで深刻化していく。第三者委員会報告書は、その過程を時間軸に沿って記述していることが多い。
そこには、典型的な悪人がいるとは限らない。むしろ登場する人物の多くは、真面目で有能な人々である。第三者委員会が報告書を作成するということは、それなりに大きな組織による社会的インパクトの大きい危機である。そんな組織に関わる人々は、世間一般からみれば「有能な」人々だ。
そして危機に際しては、そういう人々が日常業務に追われ、組織のためを思い、合理的な判断を積み重ねた結果として、危機が生まれていることが少なくない。
また報告書からは、組織内のコミュニケーションや権力関係、成果を測る指標、暗黙のルールなども浮かび上がってくる。つまり第三者委員会報告書は、単なる事実認定を述べるだけではなく、組織という生き物の生態の記録なのだといえる。
さらに興味深いのは、多くの報告書が「なぜ不正をしたか」よりも、「なぜ問題が問題として認識されなかったのか」についても描いていることである。そこには、やり過ごしや身内主義、制度複雑性といった、本連載で扱うテーマが凝縮されている。
もちろん、第三者委員会報告書は万能ではない。事後的に整理された物語であり、委員会の視点や制約も存在する。しかし、それでもなお、危機の原因、解釈、対応という修復の三段階を一度に観察できる資料は極めて貴重である。
本連載で個別事例を扱う際は、「誰が悪かったか」という道徳劇として読むのではなく、「なぜ普通の組織で危機が起きるのか」という視点から読み解いていきたい。
第三者委員会報告書は、不祥事の墓場ではない。むしろ、危機修復を考える者にとっての他山の石であり教訓となる「宝の山」なのである。